勝手に弔文

竹内均さんが昨日死去された。これが記事
知識人なる人々が一般にどういった人間を指すのか寡聞にして知らないが、俺は真っ先にこの方を思い浮かべる。残されたものは偉大。
本当に物事や他人の立場について考えられる方が作った枠組みだからこそ、自分のような学もない阿呆でもほんの少しだけ知った気分になれるものが出来たのだろう。微積もやってない奴があの手の内容に触れられるだけで凄いよ?何て言ったらいいのかな…誰だって、勿論氏だって凡てを知ってる訳でないだろうが〝知り方を知っている〟ってのかな。尚且つそいつを教えられる人。それが万人向けに、ちゃんとかたちになってる。
それでも殆ど読み解く段階ではない上、ものも道理も知らなさ過ぎる者がエラソーだけど。俺は自分レヴェルに引っ張ってこないと何も語れない。ま、たまに千円払ってるということで。
繰り返し氏の5年前の声を聴く。弁証より検証。それについての感想はない。科学者としての立場なぞ、このサーモバリック的妄想力でも理解不能。けれど至極穏やかな話し振りに感じ入る。不特定多数に対して何かを残すんだ、又は残したんだっていうハングリーさとか自慢が全く感じられないのね、内容に反して。重ねて失礼承知で言えば御歳も御歳なんだけど。淡々としてる。超アッサリ。それでいて毎号毎号神経質なほど、もれなく協力者に感謝の言葉を述べられてたりして。
やりたいことをやった、それだけのメッセージに強烈な嫉妬を感じつつ涙す。深く、ふかく哀悼の意。
貴方の残されたものは世界、たぶん一生青襟であろう俺にとって確かにひとつの世界です