巡らぬ時代

自衛隊といっても俺のいた頃居た場所は部隊でなく機関(学校・病院・補給処等)、演習も無く結構ヒマだった。もとより居るのが仕事。そりゃあ局所的には多忙を極める人もいたり個人的にはシビル相手の部署だったので遊んでいるワケにもゆかなかったのだが、概ねのほほんとしたムードが常に漂っていた。「状況開始!」=「会計検査院のえろいヒトが来るゾ」な時というくらいだ(とはいえ彼らさえも半ば物見遊山、予定には観光及びシッカリ夜の部がセッティングされていた)。


そんなシャバとは違う時間流るる柵の内では日々、ネタ的日常が送られている(あくまで当時)。
ある曹長は朝の国旗掲揚ラッパが機材トラブルで鳴らず、駐屯地総員数千人が(例え直接見えずとも警衛下番でのんびりクソしていようとも)正対注視する本部庁舎屋上で、自ら朗々と国歌を吟じた。そいつは前夜、消灯ラッパの際にも飯ラッパを流して営内者のみならず周辺住民の腰をも砕いたというイカした親父だった。
AH−1Sコブラ(複座型攻撃ヘリ)でナイター(ナイトフライト訓練)、深夜の国道で珍走団に急接近し煽り蹴散らしたという猛者も居る。ナナメになればブレードが接地するかの超々低空飛行。勿論20㎜は空とはいえガン・ターレットがチチ…と動き照準までされた若者たちは生きた心地がしなかったであろう。……時効だよな、本人生きてないし。本日当時刻・合掌。
燃料を専門に取り扱う御近所の支処サンでストーブにガソリン投入し、警衛所を丸焼きにしたヤツもいたなぁ。コレは流石に公的処分を喰らったらしいが。


そんな中でもっとも記憶に鮮明な男がいる。
幾ら演習部隊でなくともまったりしっ放しではイカンとゆうのか知れんが、時折、銃剣道だの球技大会だのが開かれては各科の看板背負わせた代表者が競わされていた。
バレーボール大会(コレも今となってはナンか違う気もするが;)直前、着替え中のコトだった。某1曹が喚いた。
「おい。コレってチ○コどっちにすればいいんだ?皆、タマ痛くねぇか?」
かの男は短パンの下につけるサポータ(いわゆるTバックの下着)を前後逆に穿き、当然ブツを収めるには細すぎる布地の右にやるか左にやるかで大層悩んでいた。彼は最後まで「フツー広い方が後ろだろう、納得いかねぇ」と呟いていた。
彼の真剣な横顔が忘れられない。合掌。 (<って、こいつはたぶん死んでねぇし結局下ネタかよ!)