晴れ

こんな予兆はクソだ
それとも開花宣言の所為で何処かの小説の旋盤工みたく浮き足立ってるだけなのか?ともかく拙い。胸のあたりが痛い。持病の喘息でもない、これは。外はピーカン、昨日はよく寝た。なのに何だろう。いや、覚えが無い訳じゃないほんとうは。
かつて官品時代、直属でこそなかったものの親しかった一等陸佐が定年を目前にして首を括った。だれもが、俺だってまさかと思ったその前日に、年齢・階級こそ天地の開きがあったが縁あって『甘いものに目がない』などと他愛もない会話を彼と交わしながら感じた、焦燥感。緊急連絡を受けたとき『自殺か?』と訊いた俺に副官は『何で知ってる、洩らすな』と電話口で叫んだ。
俺がその職を辞めて何年もたってから、あるヘリパイロットが夢に現れた。これも俺よりずっと年上だったが。彼が故あって地連にとばされていた一時期懇意となり、基地通信の裏でたびたび互いの不遇を吐き合ってはふたりでわらった。そのまんまを夢でリピート。次の日彼が民間セスナとストライクして墜ちたのを、不覚にも俺は翌々日の朝刊で知ったのだ。新聞屋のバイト中、ひとことも喋れなかった。
今こそこんなド田舎に暮らしているが、生まれて初めてなまで蛍をみたとき。ふらふらと足元に着地した、季節はずれのその淡いみどりのひかりをみながら、『またか、今度は誰だ?』と思ったものだ。まさか六時間後にテメェの母親の急死連絡を受けるとは思わなかったが。
自分にちかい死ばかりではない。
地震でも無ければ自分でTVをつける事をまずしない俺が、それもいちばん嫌いな型の番組を観た途端に東海村JCO臨界事故の速報が入った。焦ってザッピング、記憶ではそのときつけた8chしかまだやってなかった。先日も書いたが俺が棲むのは十キロ圏内である。車のラジオをききながら息子の幼稚園にふっとんでった。
ほかにも123便、中華航空。親戚が当時住んでいたロスの地震。出口の見えないトンネルの中で大量のカブトムシが燃えながら飛ぶ夢を見て、ガキだった俺が泣いた数日後に日本坂の玉突き。9・11は夜景ジグソーのピースを、ビルのあの位置あたりだけ失くして完成ならなかった。
いい歳こいて『よくいるタイプ』と思われるのも本意ではないので滅多に口にしたことはない。自分でも信じてない、書いてて胡散臭すぎだ。棒カミソリで歯磨きする夢を視るような奴だしな。
しかし経験則を無視できないのも確かでジレンマ。〝事が起ってからの後付け認識〟でないのは、俺にごく近しい者は既知だ。
ま、近日中に何が起こってもおかしくない訳だよな。アルマスリ旅団の報道に感化されただけならいい。こうした切迫感を味わっている人間は世界中に無数にいる筈。
でも困った、何だっていい、早く目が出ないとおかしくなりそうだ。
俺や、おれの好きなひとたちに何もなければ何だっていいから