望月のころ

ボトルを片手に土手を登る。夕べはこのあたりは喧騒にまみれていた。この季節だ、当然である。が、こんな早朝――常人には夜中か――に訪れる者など無く、耳にするのは花枝を揺らす風と己の呼吸音のみだ。煙草でなく、呼気がしろい。
桜は匂わないところがいい。純粋に視覚だけで酔える。尤もそれだけで飽き足らずこれを持ってきた訳だが。
昨年と同じ場所まで来るとおれは地に直接腰を下ろしワインの封を切った。葡萄の産地であるこの土地で農園を営む友人から手に入れた、白。普段のおれはジン一辺倒で、こんな洒落たものは飲まない。だが量はそこそこいけるもののストレートで飲れない厄介な体質の為、こいつを持参した。常陸ワインとある。ふうん。
背を幹に預け脚を投げ出し、ゆっくりと口に含んだ。昨夜中空に浮かんでいた銀盤はみあたらず、夜はまだ濃い。雨の予報、今朝しかないだろうと思いやってきたが、混じりけのない漆黒に花びらの一枚一枚がクリアだ。目は確実に悪くなっていたが不思議なまでにくっきりと境界を引いている。それで眼鏡をはずした。古木の生命力を振り仰ぐ。
自分を中心に円弧を描く朧な、淡いあわい、世界。
満月…月齢…潮汐ラグランジュポイント。隷属のイメージ――おれには甘くうすく感じるそれに独り笑み零す。
のみくちが良過ぎて清涼飲料のようだ。酒に弱いあいつにも分けてやればよかったか。しかしもう遅い、昨日の飲み方を反省しながらもラフにラッパ飲み、あっというまに瓶は空となってしまった。
夜も頼りなくなってきた。帰ろう。リアルに。年にいちどの愉しみを司直に邪魔されたくない。この日だけはおれは確信犯で法を犯す。
今年はノーラベルを狙おう、そう思いつつおれはボトルを手にし立ち上がった。

倶楽部:今宵、銀河を杯にして