己が禁破り。閉じたまま垂れ流す。
収束しないまま更に邦人拘束か?共にどうか無事で在れ。前者はストックホルムだかリマだかの方が安全率高いだろう。それを誰が如何言おうがまずは還ってこなければ。
昨日の日記に墜ちヘリの写真がどうとか書いた。このひとたちはそういった画を撮りに行ったらしい。撃墜か緊着か分からんけど。ロシアのシビル引き上げ令も残留がでる見込みだそうな。発電所だっけか。
NGOにしろ需要があるから?それが最大ではあろうが、それだけではないと思う。事実は事実。だがそれを如何様に捉えるかによって個人の真実は違う。何に対して突き動かされるのかも。自らの行為に崇高性を求める訳でなく、(不幸にも強制の場合を除けば)ひとはやりたいからやるのだ。意志が強ければつよいほど真逆の見方も強くなることは子供だって知っている。ただ未来がどう転ぶかを誰一人として知らないだけだ。
例えとしてはどうかだが、キャパの経歴をかいつまんで知り男としては至極宜しいのではないかという感想を持つ俺のような奴もいれば、かなり嵌った挙句、ギミックにまみれたバカヤロウだといった知人もいる。それでも『崩れ落ちる兵士』を観る気で見て、完璧にフラットでいられる人間は少ないと思う。思いたい。(昔あった〝シーン〟に対する論争を知った上でも、だ)
行動を肯定しなくとも結果を評価する者は多い。逆もしかり。
で、疑問。現進行中の〝祭り〟などと巫山戯た捉え方をする気は毛頭無いが、そこで起っている事実を知りたいという欲求は果たして罪か。動かざるのが罪だという奴はいるだろな。権利なしとか。一億総アナリスト。
しかし自戒として上に書いてある通り、無関心が一番嫌い。俺個人は、ね。