何処の誰だって絶対何かの途中で逝くのよ

つまんねぇ私事覚書。下らなさは〝ダルビッシュ〟と〝ガルベス〟を言い間違うレヴェル、稚拙さはウチの息子のムスコ程度と先置き。
更新時刻をみるに、昨夜はとんでもねぇ時間まで(激繁忙期の)一次産業に従事する友人をつき合わせてしまったのだなァPsychopath同士のモメ事にと。。今朝は大丈夫だったかしらん。記憶すっ飛んでる訳ではないので話した内容も自分が泣き入った事も覚えている。歩きながらそこいらの物体を殴りつけていたのも。ただ結果、局所的スプラッタになってるのは起きて知り。アホです。自業自得
酒の肴は(俺が去られた)共通友人の話題に終始。結論、どうなったんだっけ?


死んだ人間自身の世界は当然終わっているからして、生きてる俺らの想いの上でしか活かせられない。常套だが勝手な解釈が可能。好きだったら良いようにキライだったら極悪人にでも仕立てればいい。自分が生きて行き易いように生きてる限りの時間を掛けて。でもこの場合は互いに生きてて物理的に手が届く。それが、それこそ此方があれだけ言を尽くしても奴の脳内変換で全ては無に帰したのだ。そのうえ一方的にそれも第三者を介して突きつけられた最後通牒には我慢できない。「何年か後にはもしかしたら…」だとう!?バカヤロウ、明日生きてる保障がどこにあんだよチキショ〜っ!!


我慢できなくとも〝連絡とらず宣言〟は俺が先。真性ドあほうです。自縄自縛
これって究極の放置プレイかいな?わーいヽ(゜∀゜ )ノ とかドっ素面で考えてみたり。このヘンタイ!!
(フラれて当然、逝ってよし……_| ̄|○ i|i||i)