キーワードなんてなかった時代 −Ⅱ

事 故


お婆さんはいつも同じところに立っている。
僕が出勤するのは夜中、家から車で十数分の道程だがその間必ず停止する場所が一箇所だけある。
感知式があるのだ。
数少ない同業者か浮かれたガキでも通りかからなければ、必ず減速停止することになる。
よっぽど寝坊した時でもなければ、僕はとばしはするがそれ以外は守る。


そこのほんの手前、きっと20mもないくらいのところに老女が立っているのだ。
夜中の二時に。


しろい洋服を着てひっそりと佇むそれはいつも僕の方を向いている。
(半年も見続けていれば普通のヒトでないことぐらいは判る)
時間ギリギリに焦ってとばすこちらを、明らかにみつめているのだ。
急減速し通過する時間にしてコンマ数秒。
そのあいだに、左側のウィンドを通してそれは自己主張する。
そしてだんだん若くなっているような気がする。



雨がやんだばかりの道に化学臭を散らしながら、車は大きくテールを振って止まった。
割れ残ったライトが照らすなか、大音響に目覚めた周囲の住人がでてくる。
誰かが通報したのか独特な調子の青方偏移


男は手首に嵌った金属の輪には目もくれず、呟き続けている。
両側を挟んだ二人のうち年配の方が問い返す。……聴き取れない。
若い方が顔を顰めて首を振る。ダメでしょうどっちも、と。
こんな奴に…合わねぇな、と。
そういって所在無げに歩行者用の感知機を眺めた。


三台目の緊急車両は暗い色をしていた。
欠けた月が雲間から黄色いひかりを投げた。
朧なそれに、車内に載せかけた長い裾が意外なほどくっきりと閃いた。
しろく、紅かった。


それまで大人しかった男が思いがけない力で二人を振り切り身を翻す。
いきなり走り始めた。
慌てて後を追ったが何のことは無い、十数mも行かず両手を縛められた男は前のめりに倒れた。
すぐに追いついた若い方に引き起こされながらも男は叫んでいる。
やはり何を言っているのか分からない。


更に車が数台到着する。
いないだの居るだの人じゃないだのといった喚きが、湿った夜気を震わせる。
耳にしながら年配の方が紙箱を取り出し、一本咥えると火を点ける。