嫌な気分を持続する必要性

人の言葉尻を捕え論っただけの一昨日の文章は何度みても稚拙極まりなく、気味が悪い程走っている。最重要である〝スパム〟の定義にすら何ら触れていない。他人を斬る能力のない者が逆上せあがった行為に出ると、ここまで幼稚な自分を曝け出すものかと呆れ。ひとそれぞれと言いつつこの手の反論しか出来ぬ自分は、明らかに自己論理破綻している。この点に於いて、自身のトラックバックスパマー認定書への賛同は感情的に過ぎ、かの氏の行為と同列であると認めねばなるまい。
それでも撤回はしない、この先を書いてしまえば『お引取りを』とは勧告されるや知れんが。
やられたからやり返す、そう単純にいってしまうと提案されたid:b4-tt様他・賛同された諸兄氏の志や折角の検証を汚すことになるか。でも結局はそれしかないのだ俺には。〝迷惑行為〟は迷惑だと感ずる被害者としての感情がなければ成立し得ない。俺は先日書いた理由でそれを感じた。過敏反応かも知れないが、被害妄想ではないだろう。あれは間違っていたと氏本人から発せられない以上、此方から氏にトラックバックスパマーだというレッテルを貼って分類しておくのだ。
自分が想像もしなかったあの遣り方は負のエポックメイキングであり、手法や弁証の是非を問う以前に、これがこの先罷り通るのは堪らないと思った。反応を予想してなお踏み切れる者の第一人者として氏を受容する事はしたくない。
怖いじゃないか、そんなの当然だなんて時が来たら。認められない型の自分はとっとと去るしかない。
(ただバカ続けて忘れりゃいいのにサ、こういうのもいるんだ。自分がそうだと初めて知った(笑)。被害者意識を持ちつづけるのもそれなりに気力や責任が要るんだってのも、もの凄く勉強になったなぁ)
※俺は、やりすぎであろうと枉げる必要はないと思います。氏がトラックバックスパマーに当たるというのは俺の中では紛れもない真実なので