科学とSFと雲の上の誰かサンと

上記に関連した呟き。以下、妄想野郎のタワゴト(偏向した私見であることを言い置く)
知りたい→知った→考え→思いつく→実体化への思索→実現という流れは自然。人間が持つ欲望(煩悩)の中に向上心だの知識欲、実現欲(って言い方あるのか?)があるのは確かで、それは善悪を云々するべきものじゃない。流れの中に〝更なる利便性(効率)〟〝満足感〟〝利益追求〟等々が入り組むのも。それが人間を人間足らしめる意思の源だと思う。そして流れは又、少しずつ内容や時制をシフトしながら(パラレルでも)繰り返される。
だが血液製剤事件や古くはA・Aのウラン源言及、最近では湾岸Wから此方の米軍所持ミサイル及び爆弾技術の格段の向上などに二重の恐ろしさをみる。先端科学そのものには未知への畏怖、それを扱う意思の方向性が恐怖。  (後者を言えば何だってコワい、そこらの刃物だって車だって自サイトだって使う奴の意思一つで他人の脅威になる。こっちの方が身近な恐怖だ、しかし今回それは置く)
○○の権威などという肩書をもつ科学者らの影響力は計り知れない。何故なら単体で即、社会的証明を構築するからだ。(一部の人間を除いて)ブラックボックス化した最先端科学は、いわば宗教での『奇跡』の発現に近い。これはよくいわれる話だ。
その謳いに対し、他では得られぬ結果を求める人や国が文字通り時流を作る。自らの命が直結すればこそ、内側から善悪や可否を問う声は出ない。出ないというより時が流れてみるまでは分からない事が多いのだ。
そしてこの場合何より恐ろしいのは、似非宗教の教祖のように権威側が〝最先端〟である自身に酔うことだろう。成果を叩き出した才能・努力は誇って然るべきだし相応の報酬も当然かと思われるが、科学の成果とは結局〝事実の発見〟であり(発明はその応用)、そこから他者に与え得る恩恵すべてを自分がゼロから生み出したと考えるのは勘違いだ。その勘違いから「それでも助かった奴いるだろう」な神の如き無責任な科白がでるのだと思う。
(あーここらで自分で突っ込んどくね。>俺こそ何様、偉そうに!氏ね馬鹿!!)
んで。
間違いはなんにしろ避けられない、しかし界の権威が自信タップリに頷き続けると、周囲まで重要なターニングポイントを見逃す。……アインシュタインは悔いたらしいが。全て終わった後に。それだって「己を責めずとも必要なら他人が責めてくれる」なんてオイラの大好きな言葉も嘘か誠か残ってますが。
勿論〝間違い〟は歴史に残る程少ないからこそ、現在の生活を私たちは享受している。阿呆な俺が最低限の義務さえ果たせば、あとはのんべんだらりと暮らしてられるのも先人のお蔭です。有り難や。
何いいたいのか分からんほどダラダラ書きましたが、俺も解らんです。僅かにヨッパの脳ミソ外縁を掠めたのは、知的欲求に端を発する行き過ぎも人間が人間である以上、止まらないだろうというコトです。無くせないヒューマンエラーとかの次元でなく。どんなに将来性の在る素材や理論が発見されても、エラい人たちの一部はどっかで誰かの未来を削る為(とも思わずに)おっかねぇ研究してんだろなって思ったとですヨ。
テクノロジィ自体は言うに及ばず個人個人の想像・創造力の存在も悪ではない。在るモノは有る。そして使われる。運命なんかじゃなく欲を満たそうとするヒトの意思によって